電話の歴史
電気通信(電信)の始まり
発明から実用化まで
電気の特性が解ると最初に応用されたのはスイッチ(電鍵)のON・OFFだけで利用できる電信でした。
1830年ヘンリー電磁誘導(電子の原理)を発見(ファラディよりも早かったが発表が遅れた)。
1837年モールスがモールス符号を考案、使い易かったため各国に普及し、1850年~1903年にかけてアメリカ大陸横断や大西洋・太平洋インド洋に海底ケーブルが敷設され、1871年(明治4年)には上海経由とウラジオストック経由の2ルートで海底ケーブルが長崎に延びていきました。
アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国に派遣された岩倉使節団[明治4年11月(1873年)~明治6年9月(1873年) 107名]も本国との連絡に使用しました。1866年時点での通信料金は20語で20ポンド(労働者の4か月分の収入)1872年で5ポンド今なら30万円くらいでした。
電気技術者として興味が沸くのは、長さ数百メートルでも気になる電圧降下を数千kmもの長さでどうやって解決したかです。
電鍵(でんけん)
(出典:Wikipedia)
電信装置の模式図
(出典:Wikipedia)
日本国内の動向
1854年(安政4年)ペリー二度目の来航の折、幕府に献上した電信装置で1.6km間を送信したのが最初です。1869年横浜市内間、1870年横浜-東京間の電報がスタートし、数年のうちに全国に広がりました。
1873年(明治6年)青森-東京-長崎-世界へと電信網は拡大しましたが、その後、電話の普及と共に使用が少なくなり、1976年(昭和51年)当時の電電公社(現NTT)は至急電報の取り扱いを終了しました。
今では祝電・弔電などの文化的儀礼用が全てで、親がお金の切らした大学生に緊急送金する電報為替(かわせ)も2007年に廃止になりました。
電信技術の応用
電鍵は電流の入・切の2要素であり、2進法の0,1と同じです。この性質を利用したものがコンピューターであり、今の電子社会へと発展しました。
無線電信
1872年(明治5年)にはルーミスという人物が無線通信の特許を取得、1886年(明治19年)日本初の工学士志田林三郎が隅田川で実験を行っています。
1897年(明治30年)イタリア人マルコーニが大西洋横断の無線通信に成功。
1904年(明治37年)の日露戦争では3大式無線機が活躍、旗艦三笠から「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ」と各艦へ打電されました。
最初の遭難信号SOSの発信は1912年4月のタイタニック号と思われがちですが実際は1909年6月のスラボニア号でした。
現代では上図のように電磁波と周波数で電信する機械が分けられています。
周波数による電磁波の分類
(出典:一社 電波産業会 電磁環境委員会)
無線電信は電線でつなぐことのできない船や飛行船にいち早く利用され、また海底ケーブルの所有国に影響されず、自主的な運用が出来るため、第一次大戦後急速に発達し、1915年(大正4年)には日本ロシア間の無線通信が始まり、1928年(昭和3年)には写真電送で天皇即位式の写真を送っています。
今ではトンツーの2信号は0,1のデジタル信号に姿を変えて飛躍的に進歩し、携帯電話や衛星放送・カーナビなどに使用されています。
※超超長波(30kHz~300kHz)は潜水艦との通信に利用されています。
音声通信
電話の始まり
音声を伝える方法として伝声管があり、今でも船舶内で使われています。また今ではおもちゃ扱いの糸電話も19世紀後半にはワイヤーを使ってまともな製品として販売されていました。
1854年イタリア人アントニオ・メウッチが電話と呼べる装置を発明。1876年アメリカのグラハム・ベルが実用になる電話機の特許を取得したことで一般にはベルが発明したとされています。これにはトーマス・エジソンが発明した出力の大きいカーボン・マイクも貢献しています。
同年ボストンに留学していた伊沢修二と金子堅太郎がベルの下宿先で通話を体験、英語以外での通話第一号でした。電鍵士の必要が無い音声通話のため簡便で普及が早く、翌77年には日本へ2台輸出され、78年には米国内で148社が開業、国内でも国産第1号のベル式電話機が完成しました。
船舶に備えられた伝声管で通話する兵士
(出典:Wikipedia)
船舶に備えられた伝声管で通話する兵士
(出典:Wikipedia)
日本国内の動き
音声通信の有用性に気づいた工部省電信局長 石井忠亮が1883年(明治16年)建議書を提出、1890年(明治23年)東京横浜間で電話サービスが始まりました。加入者数は東京が155人、横浜が42人で料金は月額制で今の15万円程、横浜へは別途で5分2250円が必要でした。同年には大阪まで延び、1940年(昭和15年)には電話加入者数は100万人(当時人口は7300万人)を越えましたが、庶民はまだまだ電報の時代でした。
電話交換手が居た時代
昔の電話は、発信者が電話機付属の手回し発電機を回して電話局のベルを鳴らし、電話交換手を呼び出してから自分と相手の電話を繋いでもらっていました。当時電話交換手は、女性が憧れるハイカラな職業で、正月の仕事始めには日本髪を結い振袖姿でした。電話交換の自動化(ダイヤル化)は1926年(大正15年)にスタートし、1965年(昭和40年)にようやく県庁所在地相互間のみのダイヤル化が完成。小笠原諸島を含む全国のダイヤル即時通話は1979年(昭和54年)です。
一方、県庁・市役所などの代表電話の場合は今でも庁舎内の通話先を電話交換手に告げて接続してもらっていますがこれも年々ダイヤルイン(直通化) しています。
正月の電話交換手
(出典:産経新聞)
交換機がある場合・ない場合
(出典:日立)
日本初の電話機(出典:郵政博物館)
固定電話の普及
呼出電話と公衆電話の時代
店先委託電話
(出典:Wikipedia)
10円硬貨投入式 赤電話
(出典:Wikipedia)
特殊簡易公衆電話 ピンク電話
(出典:Wikipedia)
最新のプリペイドカード 緑電話
(出典:Wikipedia)
戦後の村や町内電話機が数台しかなかった時代、電話機のある家に通話の相手を呼出してもらっていました。
電話番号記入欄に××-××××(呼)びと記入して呼び出してもらう、これを呼出し電話と言いました。
一方、公衆電話の普及を急ぐ日本電信電話公社は上記の方法を「委託公衆電話」と制度化し、寺に普通の黒電話(後に赤色)を設置。その後電話料金管理が不要な10円硬貨投入式を駅の売店や商店の店先などに設置、100円硬貨やプリペイドカード式へと改良していき、新幹線の車内にも公衆電話がありましたが、携帯電話の普及と共に消えました。
また、同時期に農村地区では農協の電話回線を利用する「有線放送電話」制度で、写真のスピーカー付き電話を各戸に設置、最盛期の昭和44年には330万台が利用され、後に農村型CATVへと発展しました。
有線放送電話機(出典:立命館大学)
電話と電報どちらが早い?
電話回線が不足していた1960年頃まで市外通話は通話申し込みをして順番を待ちました。
待ち時間は3ランクあり、普通・至急・特急でとても高い値段の特急で1~2時間待ち、庶民には2~3時間で着く電報の方が安くて早かったのです。そもそも一般住宅には電話がありませんでした。
電報の最盛期は1963年、電話機の申し込み即取り付けの実現は1978年。1960年頃までは高額の負担金と2~3年の待ち時間が必要でした。
全国内への即時通話が可能になったのは1979年(昭和54年)からです。
携帯電話の時代
ポケットベルの登場 1970年~2007年
1970年代 個人別無線呼び出しで通話機能のないポケットベルが登場しました。ベルが鳴ると公衆電話から連絡相手に電話をして用件を聞きます。
後に数字とカタカナが表示出来るまでに進化しました。料金が格安なので繋がりを求める女子高生の三種の神器でしたが、携帯電話の普及で公衆電話と共に消滅しました。
女子高生の暗号メッセージ例
- 0840=おはよう
- 0833=おやすみ
- 724106=なにしてる?
- 8110=バイト
- 14106=あいしてる
- 04510=お仕事
- 5110=ファイト
- 999=サンキュー
ポケベル(出典:Wikipedia)
移動電話
1979年東京23区内で自動車に取り付けて走りながら通話可能な電話サービス(自動車電話)が始まり、1985年には人が持ち運べるショルダーフォンが登場しました。電話機はNTTからの貸し付けで保証料20万円、月額基本料3万円でした。
1987年からは写真の電話機によるサービスが開始しましたが料金も高く、新幹線のグリーン車に乗るような人たちが持っているものでした。
当時は持っているだけでステータスでした。
ショルダーホン(出典:Wikipedia)
初期の携帯電話(出典:NTTドコモ歴史展示スクエア)
1991年(平成3年)超小型軽量の「ムーバ」が登場しました。これは保証金10万円、加入料45,800円で月額基本料が17,000円もしましたが、携帯電話普及の起爆剤となり、2000年には固定電話の数を超えました。
2005年には全てカメラ付きとなり「写メール」が流行。価格も下がり、2010年には加入者数が1億2000万人となり、小学生も持ち歩く時代に入りました。
2005年にドコモから初登場したスマートフォンは2011年携帯電話台数を超し、2017年全画面タイプが登場し以後の主流となりました。
クレジットカードやGPS、青い色はより青く、赤い色はより赤く見える画像処理機能まで数百もの能力が詰め込まれていて、まさにカメラからマイク・スピーカーやバッテリーまで現代技術の粋を集結した作品と言えるものです。
スマートフォン(出典:Wikipedia)
初代アナログmova(出典:Wikipedia)
カメラ付き携帯(出典:Wikipedia)