計算機の歴史

数の勘定 指折り石並べから電子の利用へ

数字の発明と発達

人類は数字が発明されていない古代、物を数える為に小石を並べたり指(10本)をって使いました。「0」の概念は無く、11は10+1となります。
使いやすいアラビア数字は2300年前頃に考案され数学は急速に発達、さらに6~7世紀には「0」と「-」の概念が確立され、イタリアの数学者レオナルド・フィボナッチが1202年出版した「算盤の書」によりアラビア数字による数学がヨーロッパに広く普及しました。
18世紀には万有引力発見のアイザック・ニュートンが数学の微分・積分を見つけ出すと、計算が複雑過ぎて筆算では処理しきれなくなり計算器が考案されました。
なおインドと中国は古代数学の先進国であり日本も江戸時代に和算と呼ばれた方法で方程式を解いていました。

アラビア数字.png

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レオナルド・フィボナッチ
(出典:Wikipedia)

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アイザック・ニュートン
(出典:Wikipedia)

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漢数字サイコロ
(出典:Wikipedia)

計算機の誕生

そろばんの発明と発展

人類は7万年前には物を数え、2万年前には掛け算をしていましたが、数値が大きくなると、指折りや小石を並べでは計算が追い付かなくなり、次のような記録方法を編み出しました。

古代のそろばん.gif

4000~5000年前の土砂そろばん。土の上に線を書いて計算した
(出典:古代のそろばん|日本珠算連盟)

算木.gif

(出典:古代のそろばん|日本珠算連盟)

上記の方法が発達して1300年頃には中国でそろばんの原型が現れ、
1590年頃には五つ玉と一つ玉の組合せによるそろばんが工夫されると同時に日本に伝わっています。

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前田利家が陣中で使っていたそろばん
(出典:(公)全国珠算教育連盟)

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そろばんは重宝され1979年にはシャープからそろばん付の電卓が発売されました。
(出典:Wikipedia)

計算機の誕生(機械式から電子式へ)

数学が発達し、複雑な方程式や桁数の多い計算をするようになると多段歯車式などの機械式計算器が18世紀に登場。20世紀には砲撃の予測計算などで大きく進化し、小型軽量化され、机上に置けるようになりました。 国内ではタイガー計算器が1923年~1970年まで製造、カシオ計算機(現在のカシオ)が72年、6桁1万円の個人用電池式電卓を発売すると時代は一気に電子化へと進みます。

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ダイヤル桁数10×11×21
1970年(昭和45年)タイガー計算器
(出典:タイガー手廻計算器資料館)

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ヘンミ計算尺は三角関数・対数・平方根などの計算に使った。1975年生産中止。
(出典:Wikipedia)

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6桁電卓カシオミニ
(出典:Wikipedia)

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円形計算尺。今でも飛行機の操縦士試験で使用されています。
(出典:Wikipedia)

電子計算機の発展

動作素子の高速化(機械式→電気式→電子式)

第二次世界大戦(1939年~1945年)兵器開発や暗号解読などの膨大な計算量を短時間で処理する必要から電算機の動作素子は真空管を使う電子式へと進化し、戦後の1946年には計算速度が毎秒5,000回(従来の1,000倍)の真空管を18,000本使用する電子計算機ENIAC(エニアック)が完成しました。

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イギリスの暗号解読機「Colossus」
第二次大戦中に使用された世界初の真空管を利用した電子計算器
(出典:Wikipedia)

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ENIAC電子計算器(1946年)
巾30m/高さ2.4m 重量30トン 使用電力160kV
(出典:Wikipedia)

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多数のスイッチ(今でいうキーボード)の切り替えでプログラムを変更する
(出典:Wikipedia)

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ENIACとほぼ同時期に開発された二進数のコンピュータ(ENIACは十進数)
天才学者フォン・ノイマンがコンサルタントとして参加
(出典:Wikipedia)

コンピュータの商用利用

1964年IBM社がそれまでの科学計算に加え商用にも使える汎用型システム360を発売。故障が少ないうえ、小型~大型までシリーズ化されていたため、産業界に一気に普及しました。本店ビルのワンフロアを占める電算室とキーパンチャー室があり、数十人~100人の電算課員がいることが大銀行の証でしたが、業務は入出金預貯金管理と行員の給料計算程度でした。

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360で使ったハイブリッド集積回路。単体のトランジスタや抵抗、コンデンサをはめ込んだ今でいうプリント板
(出典:Wikipedia)

数百m2を占める電算機室.jpg

数百m2を占める電算機室
熱に弱いトランジスタ保護のために事務所より先に冷房が完備されました
(出典:Wikipedia)

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パンチカード穴開け機
電算機入力用カードを作るため数十人以上の女子事務員が機械を並べ、毎秒4回以上の速度でキーをたたき「キーパンチャー病」と呼ばれる職業病も発生しました。
(出典:昭和館(厚生省) 朝日新聞より)

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パンチカード
表面から光を当て通過する位置のパターンを光学読取機(OCR)で電気信号に変える。
(出典:Wikipedia)

孔テープ.jpg

5孔テープ/8孔テープ
データを穴のパターンで表している。光の通過を利用するのはパンチカードと同じ
(出典:Wikipedia)

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会計機での伝票発行と同時に穴あけした中央写真の紙テープを電算センターに持込み集計処理をしている所
(出典:Wikipedia)

新業種と新職種の誕生

電算機の価格は1~80億円くらいで大半の企業では導入が困難なため遙かに安い電子会計機(電卓とタイプライターを組み合わせた様な機械)で会計帳簿を作成しながら、アダプター的に取り付けた装置でデータを紙テープに入力し、仕上がった紙テープを富山計算センター(69年設立現インテック)や同年設立のフジミック(フジテレビの子会社)に持込み計算処理をしていました。(前図右写真)

それまでは強電系に比べ傍流だった電子系技術者はシステムエンジニアと呼ばれて脚光を浴び、最先端の事務機に触れることから若い女性はキーパンチャーに憧れ、企業は学業優秀順に女性社員をキーパンチャー要員として配置していました。

紙テープさん孔装置.jpg

紙テープさん孔装置(出典:Wikipedia)

電子計算機の普及

オフィスコンピューターの登場と消滅

1970年代爆発的に普及した電卓はICの高性能化と低価格化を一挙に進め、同じ部品を使用する電子計算機も超小型化。下位機能では数百万円、サイズも事務机の横における程に小型化された結果、それまでの会計機に組み込まれ電子会計機として、大企業の部門用や中企業に広く導入されました。

そして最初にオフコンを名乗ったメルコム(三菱電機)や、ユーザック(文具の内田洋行)、海外勢ではNCR(日本ナショナル金銭登録機)やバローズ(高千穂バローズ)などの会計機が活躍しましたが、1990年頃から高性能で安価になった汎用パソコン(NEC製PC9800シリーズ)の登場で市場から消えていきました。

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体積でトランジスタは真空管の1/300
1個のICには3,000以上のTry回路が封入されている。(現在では3,000万回路以上)
(出典:北陸電設)

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ユーザック720型オフコン
1972年 550~870万円(IBM製は億単位でした)
(出典:内田洋行)

マイクロプロセッサーの出現(プロセッサー)

電卓の熾烈な市場競争はIC(集積回路)の高性能低価格化が進み、LSI(大規模集積回路)やチップ1つでコンピュータを制御できるMPU(マイコン)にまで進化しました。価格も学生が購入できる程度まで低価格化した結果、汎用ミニコンピュータは机の上(デスクトップ)に置けるようになります。

マイコンの開発ではCPUの水冷化や並列駆動による処理速度の高速化など、1970年~2000年代は冒険心に富む人々(マニア)が技術を競いメーカーの先を行く時代でした。また現在は用途によってマイコンとパソコンは明確に区別された意味になっています。(家電などに組込まれている物がマイコン)

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世界初の商用マイクロプロセッサー
1971年Intel 4004型は小さいチップにトランジスタ2250回路を集積
この後の74年8080型は6000回路まで進化して価格は120ドル(4万円ほど)でした。
(出典:Wikipedia)

コンピュータの歴史