電気の歴史 日本編
平安時代~江戸時代
奈良時代
奈良時代初期に編纂された"
また、"日本三代実録巻16"の869年に、今と同じ東北地方を15mの津波が襲った貞観地震の記述があります。(※ 2011年の東北大震災時、過去の津波の経験を無視した福島第一原発は住民が住めない核事故を引き起こし、一方で重視した女川原発では、津波から逃れる住民の避難先となります。)
江戸時代
江戸時代の1776年、平賀源内がオランダから持ち込まれた電気ショックで治療する「まさつ起電機」(今でいうAEDのようなもの)を修理して"エレキテル"と名付けました。ただしその原理については解っていませんでした。
エレキテル(複製)
(出典:Wikipedia)
明治時代
開国、明治維新で近代国家への道のりを歩み始めた日本にとって、産業革命で強大な国力を持った欧米に追いつくのに必死な時代でしたが、石炭を使用した火力、日本の急峻な地形を利用した水力による大量なエネルギーの確保で、鉄道による大量輸送と、電信による通信の高速化で、時代は一気に進みました。
- 通信の高速化、手紙から電信(即時)へ
明治2年、東京~横浜間に電信用の電線を架設、明治8年には長崎~函館間が開通します。
海外からの海底ケーブルの敷設(1871年:明治4年)
欧州(特に大英帝国と呼ばれるイギリス)各国や米国は自国の勢力範囲(植民地)を広げるため、先を争って南米・アフリカ・オーストラリア・南洋諸島・アジアへと海底ケーブルを延ばします。そして、最後に残った先が日本でした。
列強が狙う中、デンマークの通信社がインド洋廻りの上海からと、シベリア経由のウラジオストク経由の2系統で海底ケーブル施設の許可を日本政府に求めますが、明治政府は首都東京へのケーブル揚陸は許可しなかったため、長崎の小ヶ倉にケーブルを揚陸します。
- 1872年(明治5年)明治政府は関門海峡にケーブルを敷設。
ようやく東京と欧州米国間が電信でつなり、岩倉使節団(明治4年~6年)も本国との連絡に利用しました。
1906年(明治39年)には東京~グアム島間が開通。対米電信サービスが始まります。
国際海底電線小ヶ倉陸揚庫
(出典:ながさき旅ネット)
(出典:Wikipedia)
産業用電気事業の始まり
日本初の水力発電は1882年(明治15年)、幕末の薩摩藩主、島津
集成館事業
(出典:Wikipedia)
1882年(明治15年)日本初のアーク灯点灯と火力発電
銀座アーク灯記念灯の錦絵(出典:大成建設)
電気の力を宣伝するため、大倉財閥の大倉喜八郎が中心になって持ち運び可能な発電機を使い、東京銀座で日本初のアーク灯で街路を照らします。それまでのガス燈とは比べものにならない明るさに人々は驚嘆しました。
その後、近くの茅場町に火力発電所(日本初)を作り、1887年から直流送電(まだ交流はできなかった)を開始。これが日本の火力発電第一手となり、今の東京電力となります。
1888年(明治21年)日本初の水力発電
明治12年、仙台で宮城紡績所を経営していた
三居沢発電所
(出典:Wikipedia)
1891年(明治24年)日本初の商用発電
売電目的で、琵琶湖疏水を利用した日本初(世界で2番目)の商用水力発電所、"蹴上発電所"(出力150kw)が京都に作られます。しかし、当時電気を使う産業がなかったため、代わりに1895年から日本初の電車(京都市電)を走らせます(開業時の経緯から2種類のレール幅がありました)。
当時の発電所内部
(出典:パワーアカデミー)
関東50Hz、関西60Hzのいきさつ
明治時代後半、 直流送電を行っていた東京電燈(現在の東京電力)が供給量増大のため、交流送電への転換を図ります。そして浅草火力発電所にヨーロッパの技術由来の「交流50Hz」3KV265KVAの発電機を導入、1893年(明治26年)に運用開始します。
一方、1888年(明治21年)に日本で3番目に設立された大阪電燈は当初からアメリカのGE製、「交流60Hz」仕様の発電機を採用しました。この2社を中心に各地の電力供給が集約されていった結果、アメリカ、ヨーロッパ、それぞれ違う地域からの技術の導入により、関西60Hz、関東50Hzとなりました。東西の周波数の境界線は糸魚川と静岡県の富士川を結ぶ線上にあり、混在している地域もあります。
周波数が違うことは両区間を直通する鉄道にとっては大きな問題で、東海道新幹線は全線60Hz専用車両が走り、上越線は50Hz、北陸新幹線は50/60Hz共用とそれぞれの周波数地域によって、異なった車両を用意する必要が生じています。
(出典:関西電力"教えて!かんでん")